サンスクリット ― 音読のための基礎文法

注:このページの記述の多くは、これらの参考文献や辞典に拠っています。

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-āvahai〔命令法為自一人称両数〕

saha vīryaṃ karavāvahai | Nārāyaṇa Upaniṣad /「ヴェーダテキスト1」サティヤ サイ出版協会 p.63

これまで名詞の語尾について主に見てきたが、このページでは、始めて動詞の語尾に注目する。

karavāvahai は、「作る」「~する」を意味する動詞√kṛ の変化形の一つ。日本語の動詞には、6つの活用形があって、それに様々な補助動詞・助動詞・助詞が連なって意味のまとまりを形成するが、サンスクリットでは、動詞1単語に膨大な変化形があって、それだけで複雑な意味合いを表現する。karavāvahai という形は、「私たち2人は(私たち自身のために)~するぞ」といった意味になる。

動詞の語形変化のことを活用と呼び、その最後に付く語尾のことを人称語尾という。動詞の活用で表される要素には、いろいろなものがある。以下に、その主なものを挙げる。

(1).主語の人称と数。人称は、英語の文法で言うところの、一人称・二人称・三人称。数には、名詞・形容詞と同じく、単数・両数・複数があり、その掛け合わせで、主語を9種類に区別する。

(2).主語のための行為かどうか。利害関係者が主語と一致するかどうかで、語尾の形が変わる。古代より既に意味区別の形骸化が進み、動詞ごとにほぼ決まった形を取るようになった。

(3).話し手の話す内容に対する態度。「法」と呼ばれる。事実として話しているのか、頭の中で想定しているだけか、願望か、命令か、という区別。

(4).行為の進行における位置。「相」あるいは「アスペクト」と呼ばれる。未完了・或いは進行中なのか、完了したのか、これから始まるのか、それとも行為を全体として点で捉えるのか、という区別。

(5).視点は話している今なのか、過去なのか。「時制」と呼ばれる区別。

(6).主語と行為者・意思決定者との関係。一致するなら能動態。他に、受動・使役・使役受動などの態の区別がある。自動詞の主語のない受動態を、非人称受動として区別する。

こういった区別を1単語の中でつけるため、サンスクリットの動詞の活用は膨大である。さらに、様々な分詞・不定詞・絶対詞といった語形があり、形容詞的な分詞群はそれぞれ格変化を行う。

ただ、その膨大な語形が均等に用いられるわけではなく、出現頻度には大きな差があるので、よく登場する形から覚え、残りはどんなものがあるかだけ念頭に置いておくようにすれば効率が良い。

-āvahaiという語尾は、命令法為自一人称両数を表す。⇒『私たち2人は(私たち自身のために)~するぞ』

-āvahaiは、-ā- を聞いた時点で「これは命令法の一人称ではないか」と思い、-āva- まで聞けば「一人称両数だ」と分かり、最後の-hai を聞いて、主語のための行為を表す為自(アートマネーパダ(自分のための語句)と称される)と判明する。長いために他と紛れにくい動詞語尾の代表例と言える。

サンスクリットでは、命令法は二人称のみならず、一人称にも三人称にも適用され、命令法一人称単数というのもある。命令法一人称というのは、英語で言えば、Let's ~ というのがあるが、自分たちの行為への強い意志・決意、或いは勧告・勧誘、規範などの意味を表明する。ここでは、誓約・誓願という表現がしっくりくるだろう。歴史的には、もともと接続法の一人称だった語形が、接続法全体の衰退とともに、命令法に移ってきたものである。

saha は、「ともに・一緒に」。vīryaṃ は「勇気を」という単数対格で、続けて、「私たち二人は(私たち自身のために)ともに勇気を奮い起こすぞ」といった意味となる。サンスクリットの動詞は主語を示すため、分かり切った主語は別途言う必要がない。

vidviṣāvahai | Nārāyaṇa Upaniṣad /「ヴェーダテキスト1」サティヤ サイ出版協会 p.63

同じ出典のすぐ続きである。

ここでの は副詞で、命令法の動詞とともに使われて、禁止を表す。同じ語形で幾つもの同音異義語がある単語の一つ。

vidviṣāvahai は、動詞 vi√dviṣ の命令法為自一人称両数。vi√dviṣ は、「憎み合う・敵対する」の意味である。

従って、この箇所は「私たち二人は(私たち自身のために)決して仲違いするまいぞ」といった誓いの意味になる。

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Q. 為自なんて初めて聞くけれど……。

A. はい。サンスクリットではアートマネーパダ(ātmanepada)と言い、日本語の文法書でも、それをそのまま使うことの方が多いと思います。「自分のための(ātmane)言葉(pada)」ということで、「為自言」と漢訳されてきました。

インド=ヨーロッパ語族の祖語からあったとされる文法項目で、古代ギリシア語文法では「能動」「受動」に対して「中動」という用語が使われています。ただ、主語が行為者と一致するのは能動態と変わらず、その意味では能動態の一種なのです。ただ、行為の利害や影響の焦点が、主語自身にあるという点が違いです。「Xは(X自身のために)Yする」という形です。

為自と対立する用語が、為他です。サンスクリットではパラスマイパダ(parasmaipada)と言いますが、「他者のための(parasmai)言葉(pada)」ということで、「為他言」という訳語になります。

それぞれ、文法書や辞書の中ではアルファベットの頭文字を取って、しばしば Ā., P. と略記されます。

日本語で書かれた辞書等では、漢字を使って「自」「他」という略記をされることもありますが、「自動詞」「他動詞」の区別と混同しないようにしてください。「自動詞」「他動詞」の区別は、動詞の意味上から、直接目的語を取らないか取るかの違いです。直接目的語の有無に関わらず、「為自」「為他」の区別はなされます。

Q. って、何を区別しているの?

A. 話の内容が、話し手にとって何なのかというのが、法の区別のポイントです。

(1).話し手にとって「事実」を話しているなら、それは「直説法」を取ります。一番普通の法なので、それを略して単に「現在」とか「過去」とか時制や相だけを示すのが普通です。

(2).話し手にとって漠然と「~であればいいなあ」「~かもしれない」という不確かなこと・期待・可能性を話しているなら、「願望法」(あるいは希求法)です。サンスクリットの願望法は、接続法・命令法の領域まで広がった、幅広い用法を持ちます。

(3).今はどうあれ、話し手が「そうせよ」「そうあれ」と意思し、実現を呼びかけようとするなら、「命令法」です。サンスクリットの命令法もまた、やはり願望法・接続法の領域に広がった様々な用法を持ちます。

(4).話し手が明瞭に頭に思い浮かべていることだが、事実でもなければそうしてくれと言っているのでもない、というのが「接続法」(あるいは仮定法・想叙法)です。一般には、間接話法(つまり、話し手自身は伝聞の内容が事実かどうかに態度表明しない)であったり、事実に反する仮定であったり、命令や願望の中身であったり、複文の従属節に使われることが多い法です。サンスクリットの接続法は早くから衰退し、命令法や願望法、そして条件法に吸収されました。それでも一部の用法は残り、それは「指令法」と呼ばれています。サンスクリットでは複文が発達せず、従属節に相当する部分に長大な複合語や名詞句を用いる傾向があります。

その他、(5).「祈願法」というのは、アオリスト相の願望法がサンスクリット独自の発展で独立した「法」になったもので、祈願・祝福などを表すもの。(6).「条件法」というのは、未然相直説法副時制、つまり「過去の時点でまだ起こっていなかったという事実」を表す語形から起こった「法」で、事実に反する仮定条件とその結果を表します。

また、不定詞を使った構文について(7).「不定法」という呼び方をすることがありますが、ここではその立場は取りません。

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(最終更新2013.9.29)

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