大歓喜トップ >> サンスクリット|トップ >> 音読のための基礎文法 >> -ena (-eṇa)
-ena (-eṇa)〔-a語幹及び代名詞中男性単数具格〕
具格についても、複数と両数に続き、単数の語尾の説明に入りたい。具格は、サンスクリットの名詞・形容詞に8種類ある「格」のうち、「~によって/とともに」といった意味を持つ格である。
単数具格の語尾も、単数為格の -āya のところで述べたのと同じように、幾つかのパターンがある。一つは、大きく -ā の系列としてまとめることのできるグループで、-ā、-ayā、-nā、-yā、といった形がある。もう一つが、今回述べる、-ena (-eṇa)である。-ena (-eṇa)は、語幹と正しく分離すれば -ina (-iṇa) であるが、ここでは、実際に文中に現れる外見である -ena (-eṇa)で説明することとする。
-ena (-eṇa) を先に述べるのも、-ā 系列の単数具格語尾に比べて、耳につきやすく見分けやすいからである。
-enaという語尾は、単数具格を表す。⇒『~によって/とともに』
-a語幹と付けているのは、名詞・形容詞のタイプのことである。語尾を付ける前の語形のことを、語幹と呼ぶ。語幹がどんな形をしているかや、どんな役割を果たすかで、「○○語幹」というタイプ分けがいろいろとある。「-a語幹」というのは、名詞・形容詞で、語幹の末尾が -a, で終わるタイプの語幹、という意味である。名詞・形容詞の中では、-a語幹の単語が最も多く、その性は、男性または中性である。
また、代名詞には、同じような形の一般名詞の標準と比べて、独特な形の語尾を取る数・格がある。単数具格の場合には、多くの代名詞の中性・男性の語尾形が、たまたま -a語幹の名詞と一致している。従って、ここで一緒に掲げさせていただいている。
~ pari-pālayantām | nyāyena mārgeṇa mahīṃ mahīśāḥ || Svasti Vācaka Śloka /「ヴェーダテキスト1」サティヤ サイ出版協会 p.137
この引用箇所では、nyāyena mārgeṇaが、今取り上げている単数具格の -ena (-eṇa)が連続している部分である。前者の語尾が-ena なのに対し、後者が-eṇa なのは、単語の音の並びが関係している。つまり、nyāyaとmārga(いずれも -a語幹の名詞である)を比べると、後者だけに反舌音の r, が含まれ、その r, と語尾との間には、舌先を元に戻させるような音が挟まっていない、といったことである。
nyāya は、「理・正理・道理」などと訳されてきた単語で、論理学や推論法、合理性のある規則・原理、といった意味合いが強い。具格で、「適切に・正当に」といった意味になる。mārga は、「道」などと訳される通り、進む「道」、特に「けもの道」が原義。英語の「way」などを見ても分かるように、そこから「様式・方式」「方法・仕方」などの意味になったり、物事を成し遂げるまでに通る正しい過程を意味するようにもなった。引用書では、この箇所を「正義の道を歩みますように」と訳されている。
ただ、ここは名詞の具格が並んでいるだけであるから、ここに「歩みますように」というような動詞的な意味合いがあるわけではない。この具格は、前節の pari-pālayantām という動詞に掛かっていると考えるのが順当である。pari-pālayantām は、「(完全に)保護せよ・擁護せよ」という命令形。主語が三人称複数で、後に出てくる mahīśāḥ(国の統治者たちが)。目的語が mahīṃ(土地・国を)である。
そうすると、「国の統治者たちは、国を、道理にかない道に沿ったやり方で保護せよ」というように、命令文の中に位置づけられると解釈できる。
また、別の出典を見てみよう。
yajñena yajñamayajanta devāḥ | Puruṣa Sūktam /「ヴェーダテキスト1」サティヤ サイ出版協会 p.91
ここでは、yajña が -a語幹の名詞である。「祭式」などと訳される。祭壇をしつらえ供物を捧げ祈祷文や讃歌を唱えて祀ることである。yajñena はその単数具格。
yajñam はyajñaの単数対格で「祭式を」。ayajanta は yajña の元になった動詞語根√yaj(祀る・崇拝する・祭式を行う)の活用形で、「(彼らは)祀った」。devāḥ は主語で「神々が」。同族の単語を重ねて「神々が祭式によって(=祭式を捧げものとして)祭式を〔祭神として〕祭式した」という表現になっている。捧げられるものも、祀られる神も、行われることも、全部同一の「祭式」ということ。
また、もう一か所。
tasmāt kāruṇyabhāvena rakṣa rakṣa sāyīśvara || Kṣamā Prārthanā /「ヴェーダテキスト1」サティヤ サイ出版協会 p.140
これも同様に、kāruṇyabhāva が -a語幹の名詞で、単数具格になっている。kāruṇyabhāva とは、「慈悲の心情」「憐みの気持ち」ということ。漢訳の伝統に照らすなら、慈悲の「悲」のほうのことであり、苦しみ悩んでいる人に同情し、苦しみを取り除きたいという感情のことである。それに続く rakṣa というのは「保護せよ」という二人称単数に対する命令形。
であるから、「それ故に、憐みの御心をもって、護り給え、護り給え、サーイーシュヴァラよ」と言っていることになる。引用書の訳にある「私を」は、ここには無いが、それまでの文脈で祈る側が一人称単数であることが明らかであるから、補ったものであろう。
更に、最後にもう一つ。
śivalokamavāpnoti śivena saha modate || Liṅgāṣṭakam
ここは、śivena のあとに saha が続いているのがポイントである。
saha は後置詞(小辞)で、「ともに・一緒に」を意味する。サンスクリットの具格には、幅広い意味・用法があるが、sahaが続くことによって、その中の「付随・共同」の意味に絞り、明確にする。サンスクリットには、8つの豊富な格があるが、それに加えて、特定の格形と一緒に使う後置詞等も少なからずあって、表現を明晰にしている。
「〔そのような者は〕シヴァの世界に到達し、シヴァとともに喜ぶ」といった意味。
Q. -ena (-eṇa)という音があると、どのくらい確実に単数具格なの?
A. 使用頻度は低いながら、enadという代名詞の格変化形も紛らわしいものがありますし、前後の単語のつながりで偶然に -ena- (-eṇa-) という音が現れることは無数にありえます。
ただ、統計をとったわけではありませんが、この音があれば、9割以上は単数具格だと思われます。
Q. 「漢訳」って何のこと?
A. いわゆる中国語のことを、言語学的には「漢語」と言います。「中国」というのは、多民族国家である中華人民共和国の略称であって、特定の民族や言語を指すのには相応しくないからです。確かに中国の公用語でもありますが、学問の世界では、国家や統治機関に関わる名前は、なるべく避けることになっています。その漢語に翻訳すること、そして翻訳されたものが、「漢訳」です。
サンスクリットを含む、インドの言語は、仏教の経典を中心として、西暦紀元後1世紀頃から盛んに漢訳されてきました。どんな単語をどんな漢字で訳すかについては、その間の伝統の蓄積があります。
(最終更新2013.8.31)
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