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-bhyām〔両数具格・為格・従格〕
padbhyāṃ bhūmir diśaḥ śrotrāt | Puruṣa Sūktam /「ヴェーダテキスト1」サティヤ サイ出版協会 p.90
サンスクリット文献を読んでいるとき、時々、-bhi- / -bhy- (ビヒ)という音が耳につく。その大半は名詞・形容詞の格変化(declension・曲用)の語尾であるが、3種類目かつ、主だったものとしては最後の語尾として、このページでは-bhyāmについて取り上げる。
先に別のページで、複数具格の語尾である-bhis (-bhiḥ)や、複数為格・従格の語尾である-bhyas (-bhyaḥ)について述べたが、これはまた別の格変化の語尾である。
-bhyāmは、両数形の語尾の一つだ。両数というのは、2つとか一対のものごとを表す。そして、この -bhyāmがあれば、ほぼ間違いなく、両数形の名詞類(名詞・代名詞・形容詞・数詞)の一部である。
しかし、表す格は3つにわたる。これまで複数形の例で挙げてきた、具格・為格・従格の3つだ。
-bhyāmという語尾は、両数具格を表す。⇒『(両)~(たち)によって/とともに』
-bhyāmという語尾は、両数為格を表す。⇒『(両)~(たち)に/のために』
-bhyāmという語尾は、両数従格を表す。⇒『(両)~(たち)から/より/をもとに/のせいで』
サンスクリットの格は、8種類ある。しかし、両数形に限ると、3種類の格形しか持たない(附帯形を持つ一部の代名詞を除く)。そのうちの一つが、この具格・為格・従格の共通形である。他に、主格・対格・呼格の共通形と、属格・処格の共通形とがある。
格が1つに絞れてさえ、その表す意味は決して狭くないのに、3つの格にまたがるとなると、解釈して訳を決めるのは大変である。救いの一つは、両数形は出現頻度が低く、周りの他の名詞・形容詞には単数形や複数形があるだろうということだ。単数形や複数形はより多くの格形を持つから、そこから残る両数形の格を絞ることができる。
仮にそこで訳語が決められなくとも、共通する意味をイメージで取って次を調べることもできる。具格・為格・従格共通形の場合は、道具・協力者であれ、到着点・受益者・目的であれ、出発点・原因であれ、何らかの意味で動作を傍から推進するものごと、ということだ。裏返すと、主語や補語や直接目的語のような動作の中核ではなく、附帯的な状況説明でもなく、呼びかけ相手でもないと大雑把に推断される。
語末の -m, は、子音の前でまず中立化して -ṃ, となり、さらに場合によっては、続く子音の調音点と同じ調音点の鼻音となることがある。上記引用箇所では、次の bhūmir が bh という子音で始まっているので、padbhyāṃという語形をとっている。
ともかく、-bhyā- と聞こえたら、両数の具格・為格・従格と思って直前の音群を見ていただきたい。
ここでは、pad が「足」の意味の男性名詞である。だから、padbhyāṃ は、「両足」についての格変化形だと考えられる。上記のように表せる意味範囲が広いから、これだけでは訳語を決める手立てがない。もし仮に具格だとすれば、「両足によって」であり、「歩いて」を直接示唆するかもしれないが、他の格かもしれない。そういう時は、他の単語を調べ、文脈を見ていくしかない。
そこで次の bhūmir を見ると、これがもし文末にあれば bhūmiḥ となる形。「大地が」を意味する女性単数主格の形である。さらに続く diśaḥ は、「(諸々の)方角が」を意味する女性複数主格の形。そして句末の śrotrāt は、「耳・聴くことから」を意味する中性単数従格の形である。残念ながら動詞の定形はここにないが、この辺りが何とかして分かると、他の単語が名詞の単数形や複数形なので、ぼんやりと解釈の方向性が見えてくる。
しかし、自信を持って解釈を確定するには、もっと広い文脈を見なくてはならない。引用箇所より前に遡ると、ここは、原人プルシャのどこがこの世界の何になったかを順次述べている文脈の末尾付近に位置する。「〔プルシャの〕どこそこから(=従格)何々が(=主格)生じた/現れた」という形の記述が連綿と続いている。だとするなら、動詞は省略されているが、プルシャの身体の一部分でありうる padbhyāṃ は、具格や為格でなく、従格ととらえるのが自然な流れであろう。
そうすると、引用部分は「〔プルシャの〕両足から大地が、聴覚から諸方角が〔生じた〕。」という方向でひとまず解釈されることになる。そしてまた、ここの訳が「両足によって」であろうが「両足のために」であろうが、前後の訳文がある中でなら、日本語として読む人に与える理解はやはり従格的になるだろうと思われる。日本語でも、これらの格の意味合いは連続しているのだ。
また、別のところを見てみよう。
padbhyāgṁ śūdro ajāyata | Puruṣa Sūktam /「ヴェーダテキスト1」サティヤ サイ出版協会 p.88
同じ文献の少し前の箇所である。ここに出てくる、-bhyāgṁというのも、-bhyām の変化した音の一つである。つまり、padbhyāgṁ というのは、先の箇所の padbhyāṃ と同じ単語で、文法的にも全く同じ語形なのである。単純に、-ṃ と -gṁは、言葉の中での意味合いとして等価である。
ということは、やはり前後の文脈がなくては訳が決まらない。続く śūdro は、次の単語が無ければ śūdraḥ となる単語で、カーストを四つに分けた中で最低のシュードラ階級のことである。ここは男性単数主格である。ajāyata は、動詞の活用形で、もとの形は「生む」を意味する √jan である。ここでは、過去の三人称単数形である。詳しい説明は別の箇所に回すが、この類の動詞は能動態と受動態が同形である。
そうすると、「〔プルシャの〕両足からシュードラが生まれた」となる。
同じ両足について、ここではシュードラが生まれたと言い、先の箇所では大地が生じたと言っているのだが、重複の気になる方は、宗教指導者乃至は専門の宗教学者にお尋ねを願いたい。ただ、「顔」についても、バラモン階級(ブラーフマナ)と同時にインドラ神とアグニ神にをも生じたと言われているので、カーストとそれ以外とで生成物に重複があっても気にしないのだろうと思われる。
次にまた、別の文献を見てみよう。
namaste astu dhanvane bāhubhyāmuta te namaḥ | Śrī Rudrapraśnaḥ Namakam /「namakam ナマカム 公開版」 サティヤ サイ出版協会 p.1
今度は、bāhuというのが「腕」のことなので、bāhubhyām というのは、「両腕」の具格・為格・従格共通形である。ここでは、どの格の意味で使われているのであろうか。
namas (namaḥ)が目につくので、ここでの解決の最初の手掛かりとなる。namas (namaḥ) は大元の意味としては、おじぎすることであるが、翻訳時には宗教的ニュアンスを汲んで、敬礼・礼拝・帰依・帰命などといろいろに訳される。この namas (namaḥ) が、「誰それに」という意味での、為格の単語を期待させるのである。
直前の部分はどうなっているだろうか?
「汝の(te)弓に(dhanvane)敬礼(namas)あれ(astu)」
となっていて、期待に違わないようだ。dhanvane という形は、中性単数の為格で、namas の捧げられる相手を表している。
残りも、動詞の命令形が省かれただけで、同様の構文である。
「汝の(te)両腕に(bāhubhyām)もまた(uta)敬礼(namaḥ)〔あれ〕」
違和感なく解釈できるので、ここのbāhubhyām は両数為格ということで決着していいだろう。
同じ内容の聖句が、同じ文献の別の箇所にある。
ubhābhyāmuta te namo bāhubhyāṃ tava dhanvane | Śrī Rudrapraśnaḥ Namakam /「namakam ナマカム 公開版」 サティヤ サイ出版協会 p.6
ubhaは「両方の」を意味する。-bhyām の語尾が2つあるこの文は、従って、
「汝の(te)両方に(ubhābhyām)もまた(uta)敬礼(namo)〔あれ〕、汝の(tava)両腕に(bāhubhyāṃ)〔もまた〕弓に(dhanvane)〔も〕」
というような意味になる。
ここでも、両数為格の例であった。
両数具格の使われている聖句の例がうまく探せないので、次の例を挙げる。
vasanta-rāga-yati-tālābhyāṃ gīyate | Gītagovinda /prabandhaḥ 3
これは、ジャヤデーヴァがクリシュナ神とラーダーを題材に謳った宗教詩『ギータ・ゴーヴィンダ』の、3番目の詩篇の<歌い方の指示>である。
「ヴァサンタというラーガとヤティというターラによって歌われる」ということだが、ラーガとターラを両方まとめて合成名詞にして、両数具格の形が使われている。ラーガとターラはインド古典音楽の概念で、ラーガは旋法(モード)のようなもの、ターラはリズム周期型だが、ピンと来ない方はこのサイト内外を検索していただければと思う。
gīyate が受動態の三人称単数「歌われる」。意味的に、主語になる「~が」と、行為者や手段を表わす「~によって」の両者が、期待されるところである。そのうち、両数の具格・為格・従格共通形が当てはまるのは、「~によって」の具格である。主語は、文脈的に、続けて書かれている詩歌本文に違いない。
Q. それでは、-bhyām,-bhyāṃ,-bhyāgṁがなかったら、それは両数具格でも両数為格でも両数従格でもないと言えるの?
A. 本当に惜しいことに言えません。しかし、例外はほんのごくわずかです。一人称(我人称)と二人称(汝人称)の代名詞だけが例外で、為格に附帯形があります。この代名詞たちは、そもそも、単数・両数・複数で、互いに全く異なる語形を使い、まるで数によって別の単語のようですから、また別の機会に説明します。
Q. 両数の別の言い方はあるの?
A. 英語では「dual」と言って、Du.やdu.と略されることもあります。サンスクリットででは「dvicana」と言います。
日本語でも、「双数」という用語があって、対象言語によっては、「両数」より一般的です。
Q. 両数は、他の言語にもある文法カテゴリなの?
A. はい。現代にも使われている有力な言語では、例えばアラビア語にあります。古い言語では、古典ギリシア語や古代教会スラヴ語などの例があります。さらに数が少なくなりますが、「三数」などもっと多くの数カテゴリを持つ言語もあります。
なお、インドでもそうでしたが、古い時代に双数など複雑な数カテゴリを持っていた言語が、時代を経るにつれて減退させていく歴史的傾向にあります。
(最終更新2013.8.30)
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