サンスクリット

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サンスクリット雑感


[2001.03.11記]

最近、私は、サンスクリットだけではなく、エストニア語や、上古・中古漢語の音韻についても学んでいます。

エストニア語は、合唱団で取り上げることになった歌がエストニア語だったからで、上古・中古漢語は、梵語の音写や、日本の音読みとの関係が気になっていたからです。

それらの言語についても、一通りのことが済んでから何かのまとめを書きたいと思っています。

これまでにかじった外国語は少なくありませんが、いずれも、誰かと話をしたいとか、すらすら読めるようになりたいといって始めたものではありません。文字への興味、音声・音韻への興味、正書法への興味、比較言語・比較文法的な興味、そういったことから始めたものです。だから、話せるようになった言語は一つもないのですが、だからといって「だめだ」と言ってやめることもありません。

文字を見て歌えたり、辞書を調べて歌詞の内容が分かったり、和訳された小説に出てくる固有名詞の意味に感づいてほくそ笑んだりできれば、それだけでも十分だからです。


[2000.11.30記]

私の大学時代のある恩師が「学生時代にサンスクリットを学んだ時に、ものの考え方が変わるのを感じた(趣意)」とおっしゃっていました。

私は、そこまでの学識もありませんし、<言語による考え方の枠組み>に関しての感性もないので、実感はないのですが、言語の学習というのはそうあるはずなのだな、と今でも思っています。

言語教育というのは、その言語を使っていた人の考え方を直接感じ取るために大事なものであって、今後とも拡充されていくべきものだと思います。それには、実用的な、同時代の他言語――とりわけ英語――という方向性も大事ですが、過去の遺産に使われている言語――とりわけ我が国の歴史に関わった言語――の継承も必要でしょう。

日本人がルーツとして持つ、古代・中世の日本語、漢文、そして、仏教の影響を受けてきた我々にとって、このサンスクリットも、仏教などの専門研究をしようとする人たち以外にも、もう少し知られていていいのではないかと思うのです。

まず、私は、小学校高学年乃至中学の段階で、地理ないし外国語の時間に、世界にどんな言語があるかの全容を、2時間・3時間でもいいから取り上げるといいのではないかと思います。

それから、中学校の国語の時間に、梵字の写真資料や、ローマナイズを使って、サンスクリットがどんな言葉であるか、仏教の中の音写語にはどんな単語があったか、ということを、数時間説明してもらいます。今の同世代の多くの反応は、「サンスクリット(乃至は梵語)ってどこの国の言葉?」とか、下手をすれば「サンスクリット」が言語の名前であることすら知らないでいる人たちも多いのですから、それだけでも是正することになると思います。

また、高校の特別科目や大学の一般教養の第二外国語に、サンスクリットをはじめとする古典語を加えて、ドイツ語やフランス語などの現代語と同等に、古典語が進級に役立つようにすることで、その普及を図ります。出版物では、サンスクリット原文を横に示した対訳本や、現代語彙も加えた簡易な梵和辞典の種類を増やして、一般の人が幅広い学び方ができるようにします。

そういう望みは、欲張り過ぎでしょうか。


[2000.09.02記]

私は、サンスクリットを趣味として、けれどもおそらく一生続けるものとして楽しみつつある者の一人です。

私は、日々の糧は、印刷業界・製版会社のDTP部門にて得ていますし、自己表現としては、合唱団に所属して、年に何度かコンサートに出るのを楽しみにしています。サンスクリットについてはどんな意味ででもプロではありませんし、その実力も全くない、研鑚を続ける時間も乏しい、言わば「下手の横好き」という状態です。それがいつの日か「好きこそものの上手なれ」に変わることを願いつつ、早めに会社から帰った日などに亀のように歩を進めている状態です。

私がサンスクリットに出会ったきっかけは、そもそもは仏教への興味からでした。仏教用語の中の音訳語が気になりだしたのは中学生の頃、そして、書店で最初の文法書を手にしたのは高校生の時でした。

その時は文法の全体像など全く見えていなかったのですが、第一印象は「ロシア語に似ているな」ということ。私はたまたま、中学生の頃からロシア語が大好きだったのですが、代名詞の変化形などに、見慣れた形がたくさん見つかります。発音上では、逆に、ヨーロッパの印欧語には見られない要素があることに興味をひかれました。有声帯気破裂音や、反舌音と歯音の整然とした対立などです。

大学では、一応仏教学の論文で学部を出させてもらいましたが、サンスクリット自体は殆ど独学で少し進めただけで、今も独学の状態です。袋小路に入らないように、そして、誤りを減らすために、文法書と辞書は複数所持してできるだけ見比べるようにしています。

猶、私は、こうしてサンスクリットをしていますが、インドの文物や生活に格別関心が深いわけでもなく(比較的好きではありますが)、また、ヒンドゥー教は勿論、仏教の研究さえも直接の目的にはしていません。インド旅行をしたことはまだなく、旅行はそもそもあまり好きではありませんし、インド系の友人もいません(欲しくないわけではないですが)。仏教の正統性に関する関心は、学部を出て以降、あまり切実なものではなくなりました。そうではなくて、ただその「言葉」に魅せられ、少しずつでも触れていたいと思うから、学んでいるだけなのです。サンスクリットをする人の中でも、そういう人は却って少数かもしれないと思います。

好きなものの話は人にしたいし、人からも情報を聞きたい。けれど、サンスクリットが好きだという人は、よほど大きな大学でなければ学内でもわずか、学窓を離れると、そう滅多に出会えるものではありません。そこで、2,000年の春、他の古典語での話を参考に、自分たちの新しい居場所としてメーリングリストも創設させて頂きました。

これから一人でも多くの皆さんの賛同を得て、楽しい学びの集いが広がっていくことを祈ります。


(最終更新2010.2.6)

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