サンスクリット ― 音読のための基礎文法

注:このページの記述の多くは、これらの参考文献や辞典に拠っています。

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-bhyas (-bhyaḥ)〔複数為格・従格〕

svasti prajābhyaḥ pari-pālayantām | Svasti Vācaka Śloka /「ヴェーダテキスト1」サティヤ サイ出版協会 p.137

サンスクリット文献を読んでいるとき、時々、-bhi- / -bhy- (ビ)という音が耳につく。その大半は名詞・形容詞の格変化(declension・曲用)の語尾であるが、2種類目の語尾として、このページでは-bhyas (-bhyaḥ)について取り上げる。prajābhyaḥという単語にご注目いただきたい。

先に別のページで、複数具格の語尾である-bhis (-bhiḥ)について述べたが、これはまた別の格変化の語尾である。格変化というのは、英語では、代名詞で「I, my, me」などと語形変化するあれである。おそらくは「所有格」「目的格」などという文法用語をご記憶であろう。サンスクリットでも格が大切である。

-bhyasという語尾は、複数為格を表す。⇒『~(たち)に/のために』

為格とは何ぞや?」と言えば、この為の字は、「為(ため)に」と読む。「~に」(渡す相手・動く方向)や「~のために」(利害・目的)を表すのが為格である。英語で言えば、前置詞「for」をイメージすれば分かりやすいであろう。

複数と付けているのは、複数でなくてはこの形は使いませんよ、という意味である。-bhis のページでも述べたように、単語の最後の-s は、次の単語の音によっていろいろと変わる。-ḥ も、その変わり先の一つである。

ともかく、-bhya- と聞こえたら、「『~(たち)にために』の-bhyasのバリエーションではないか?」と思って直前の音群を見ていただきたい。

ここでは、prajāが「生まれたもの・生きとし生けるもの」「人々・人民」の意味の女性名詞である。だから、「衆生のために」「人民のために」、ということではないか?と考えてみるのである。ただし、その解釈が正しいかは、全体で意味が通じるか確認するまでは確定できない。

この -bhyas の場合は、後で述べるように、意味は似ているけれども、もう一つ別の格としても使われる、という事情がある。

例えば日本語の「が」も、古い時代には所有の「の」に近い意味で使われることが多く、「我が国」「我らが母校」などという定型句に残っているし、逆接・対照並置の接続助詞の用法も現在普通にあるが、文脈から自然と、意味の通じる方で解釈されて問題がない。それと同様の判断を、サンスクリットでも下していかなくてはならないのである。

ここでは、その前に、svasti という単語がある。「良く・うまく・望ましくあること」の語構成から、「安寧・繁栄・僥倖・好運・成功」などの意味を持つが、この単語が、意味的に、「~のために」「~にとっての」に相当する為格を期待させる。そこにちょうど位置する prajābhyaḥ であるから、それは為格であり、合わせて「人々に幸福がありますように」の意味だろう、と推断できるのである。

また、別のところを見てみよう。

śrī gurubhyo namaḥ | Gaṇapati Prārthanā /「ヴェーダテキスト1」サティヤ サイ出版協会 p.54

ここに出てくる、-bhyoというのは、-bhyas の変化した音の一つである。

「有声音」と「無声音」の区別が分かる方は、概ね有声音の前では-bhyoになる、と思っていただけるとよい(有声音を簡単に説明すると、日本語では、濁音や、ア行・ナ行・マ行・ヤ行・ラ行・ワ行・ンの音のことである)。その例外は、次が a,以外の母音の場合で、単に語尾の子音が落ちて-bhyaとなる。

-bhyasになるのは、[s],[t],[th]の前のみ。他の無声音の前や文末では、-bhyaḥとなることが多い。

いろいろあるけれども、まとめると、-bhyas,-bhyaḥ,-bhya,-bhyo,-bhyaś,-bhyaṣ の6種類の形が、-bhyasという格語尾の、次に続く音によるバリエーションである。

guruというのは、「尊敬される人・師」の意味で、宗教的には霊的指導者を意味する。尊敬の意味を篭めるため、一人に対しても複数形を使うことがあるので、複数形でも本当は何人かが断言できない。その複数為格であるgurubhyoは、「尊師(方)のために」を意味し、続く namaḥ(敬礼・帰命)に掛かると解釈できる。

次にまた、別の個所を見てみよう。

adbhyaḥ saṃbhūtaḥ pṛthivyai rasācca | Puruṣa Sūktam /「ヴェーダテキスト1」サティヤ サイ出版協会 p.92

ここの、adbhyaḥにも、同じ-bhyaḥが-bhyasのバリエーションとして含まれている。

adというのは、このまま辞書で引いても出てこない。不規則変化をする名詞で、見出し語はap。こういう変な不規則形はそんなに数が多くはないから、よく出てくるものを丸暗記するのがよい。単語の意味は、「水」である。ヴェーダの時代には単数でも使うが、後には複数形しか使われなくなった。「水たちの主(apāṃpati)」という表現をすると、「大海」を意味する。そうすると単数のapは、「この雨粒の水」「このコップの水」「この川の水」という個々の水であろう。

では、このadbhyaḥの意味は、「水(たち)のために」であろうか。

実は、それに続く saṃbhūtaḥ が、「~から生じた」「~で造られた」を意味する単語で、材料・素材を表す言葉が、その近くに強く期待されているのである。そして、材料・素材の意味合いを表せる格である従格の複数形が、複数為格と同じ-bhyasの語尾を取るのだ。

-bhyasという語尾は、複数従格を表す。⇒『~(たち)から/より/をもとに/のせいで』

つまりここは、この2語では「水(たち)から生じた」と解釈するのが自然なのである。

従格の「従」の字は、漢文で「~より」と読める。時間・空間における運動や分離の起点(~から/~より)、比較の基準(~より)、起源(~をもとに)、原因・理由(~のせいで)を意味する格である。英語で言えば、前置詞の「from」と「than」の意味を兼ねたようなイメージである。

先述の為格と比べると、出発点と到着点ということで、動きの向きという視点からは正反対の意味の格と言える。けれども、行動の動機を与えるという視点からは、共通する役割を持つ。だからであろう、サンスクリットで為格と従格を語形で区別するのは、単数形だけなのである。複数形と、二つのもの・ペアのものを表す両数形とでは、為格と従格の形は区別されない。だから、その連続する意味合いの中で、文脈に合った解釈と訳語を探さなくてはならないというわけである。

さらにもう一つ、別の個所の同じ語尾を見てみよう。

pūrvo yo devebhyo jātaḥ | Puruṣa Sūktam /「ヴェーダテキスト1」サティヤ サイ出版協会 p.94

ここは関係代名詞で延々と前の主語を受けている文中だが、devebhyoは、先に挙げた gurubhyo と同じく、-bhyoを含んでいる。単語の見出し語形は、deve ではなく、deva。これは不規則なのではなく、aで終わる男性名詞の規則形である。語義は「神」である。どう意味を取ればいいだろうか?

ここでも、前後の単語の文脈が重要になる。

pūrvo (<pūrvaḥ) は、「~より先の」「以前の」。yo (<yaḥ) は、「(先行する文中にある)その彼は」。jātaḥ は、「生まれた」「生じた」である。その間に、複数為格か複数従格であると考えられる devebhyo が置かれている。

これは、「神々のために」なのか、「神々をもととして」なのか、それとも「神々のせいで」なのか。

ここだけでは解釈を確定しづらいので、この文献の文脈をさらに広く見てみる。そうすると、世界の原初としてのプルシャ(原人)から、全世界が展開している、という文脈で、関係代名詞で受けられているのは、まさにそのプルシャのことである。

そう前提すると、先の3つの選択肢よりも、もっと自然な選択肢がある。それは比較の基準である「神々よりも」である。従格によって比較の基準を明示することで、比較級の形を取ってはいない pūrvo が、比較の意味を持つ。従って、「(その)彼は神々よりも以前に既に生まれていた」という解釈ができよう。

サンスクリットの解釈は、まるでパズルのように文脈で決まるという、好例である。

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Q. それでは、-bhyas,-bhyaḥ,-bhya,-bhyo,-bhyaś,-bhyaṣがなかったら、それは複数為格でも複数従格でもないと言えるの?

A. 惜しいことに言えません。しかし、例外はごくわずかです。一人称(我人称)と二人称(汝人称)の代名詞だけが例外で、別の語尾を持ちます。それらの代名詞では、複数為格は -abhyamで、複数従格は -atです。この代名詞たちは、そもそも、単数・両数・複数で、互いに全く異なる語形を使い、まるで数によって別の単語のようですから、また別の機会に説明します。

Q. 為格という文法用語には、他の言い方もあるの?

A. はい。英語では「dative」(与えることに関わるもの)と言って、D.やDat.などと略されます。

サンスクリットでは、「caturthī-vibhakti」(第四格語尾)と呼ばれます。日本語でも他に「与格」という言い方が一般的で、間接目的格として説明されることもあります。英語は覚えておくと文法書などを見るときに役立つでしょう。

Q. それでは、従格という文法用語には?

A. はい、それもあります。英語では「ablative」(除去に関わるもの)と言って、Ab.やAbl.などと略されます。

サンスクリットでは、「pañcamī-vibhakti」(第五格語尾)と呼ばれます。日本語でも他に「奪格」という用語はよく使われます。英語は覚えておくと文法書などを見るときに役立つでしょう。

Q. 今回いきなり、文脈なんていう話をされても?

A. そうですね。済みません。

読みながら単語を分けて、文脈を推定できるためには、語形変化した結果の語形の数を基準で、最低数千個レベルの語形は判別できるようにしておかないと、分析のフィルターが全く利きませんね。

もしあなたが、サンスクリット文法を学び始めたばかりなのだとしたら、文脈を推定できるために、あと何年もかかるかもしれませんが、そういうものだと覚えておくだけでも、気構えになると思います。

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(最終更新2013.8.4)

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